猪目洞窟(いのめどうくつ)
島根県出雲市猪目町 MAP    Update: 29Nov2008

 


古事記・日本書紀で,この世とあの世の境のことを意味するのでしょうか。伊邪那美尊(いざなみのみこと)が火の神を産んで死んだ。伊邪那岐尊(いざなきのみこと)が伊邪那美尊に逢いに行った所が黄泉(よみ)の国であり,その境界を黄泉比良坂(よもつひらさか)といわれています。
『出雲国風土記』では,礒の西にある岩窟に穴があり,人は入ることが出来ない。夢でこの岩窟辺りに行くと必ず死ぬと言われていて,土地の人らは昔から,黄泉の坂とか黄泉の穴とかよんでるそうです。


宇賀郷。郡家正北一十七里二十五歩。所造天下大神命,誂坐神魂命御子,綾門日女命。尓時,女神,不肯,逃隠之時,大神伺求給所,此則是郷。故云宇加。即北海浜有礒。名脳礒。高一丈許。上生松,芸至礒。邑人之朝夕如往来,又,木枝人之如攀引。自礒西方窟戸,高広各六尺許。窟内在穴。人不得入。不知深浅也。夢至此礒窟之辺者必死。故俗人,自古至今,号黄泉之坂・黄泉之穴也。
『出雲国風土記』より引用


国指定史跡 一九五七(昭和三二)年七月二七日指定

猪目洞窟遺物包含層(いのめどうくついぶつほうがんそう)

県指定文化財 一九七四(昭和四九)年一二月二七日指定

猪目洞窟遺跡出土遺物

 この洞窟遺跡は,一九四八(昭和二三)年に,漁船の船置場として利用するため入口の堆積土を取り除いた時に発見されたものです。
 凝灰岩の絶崖にできたこの洞窟は,東に向かって開口しており,幅三○m,奥行き三○mあります。
 この遺跡は,縄文時代中期の土器片も少量採集されていますが,弥生時代以降,古墳時代後期まで(二三〇〇~一四〇〇年前)の埋葬と生活の遺跡としては,人骨が一三体以上見つかっており,特に注目されるものとしては,南海産のゴホウラ製貝輪(かいわ)をはめた弥生時代の人骨や,舟材を使った木棺墓(もっかんぼ)に葬られた古墳時代の人骨,稲籾(いなもみ)入りの須恵器(すえき)を副葬した人骨などがあります。
 生活の遺跡としては,各種木製品,土器,骨角器などの道具や,食料の残滓と思われる貝類,獣骨,鳥骨,魚骨,木の実など,また多量の灰などがあります。
 発見当時,大社考古学会により調査が行われた関係から,出土品は現在,大社町の史跡猪目洞窟遺物包含層出土品収蔵庫で保管されています。

 二〇〇八(平成二〇)三月
 出雲市・出雲市教育委員会
看板より全文引用




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参考文献:
  • 出雲国風土記,荻原千鶴,講談社